茶道の實際5 配列布置
道具の置き方についての冒頭。
所定の用具は此れを點茶の法式に従つて布置配列せられて初めて共用を為すのである、點茶は大體坐つて為すものであるが用具の布置は此の坐つて居て手のとどく範囲と云ふ限定を受けるのである。
規矩にうるさい著者であるが、肉体の差異に関してはきちんとした認識を持っている。つまり、無理に規矩に体を合わせさせようとはしていない。
茶では客を自分の右側に受けるのを本體としている右方へあまり目障りになるものは置けない、風爐と水指なれば風爐は正面の左方に水指を右方に置く方が理にかなふ譯である、
(ざっくり略)
此比律を昔は曲尺割と云つた、大工の用ひる裏曲尺や西洋の黄金律と云ふ者と同じものである、此比律へ陰陽道を結びつけ吉凶の判断まで付加したばかりでなく、此れが茶の本質である樣に解してしまつたのである、今でも此れを鼓吹してるものもある樣である。
正直、曲尺割と黄金律をいっしょにしないで欲しい。
さて、この文章から考えると、著者は南坊録の曲尺割をあほらしいと考えていた様だ。
この時代の田中仙樵などの南坊録研究は、あんまりにも細かくて繁雑で、それをがんばって理解して実践しても、ただ道具の位置が決まるだけ、というものだから、南坊録を絶対視しない立場から見れば、そう思うのは止むを得ないところか。
むしろ田中仙樵らの声高な主張だけ読んでいると、大正〜戦前の茶には南坊録の影響が大きかった様に思えてしまうが、実は声が大きいだけでそうでもなかったのかも、という例証なのかもしれない。