茶器の見方2 頽れ

却説、茶入の鑑賞法は、先づ、其の姿を見、継ぎに、其の釉を見るべきである。

茶入の鑑賞の優先順位は、先に姿であり、次いで釉薬だと著者は云う。


姿の鑑賞は、口造り/捻り返し/肩/胴/畳付/糸切と割りと知っている話なのでオミットする。


だが釉の話の方はあまり聞かないので興味深く読んだ。

頽れ釉の景色は、茶入の肩から、タツと、なだれて、而も、胴の腰、釉際から二三分上のところで、ピタリと止まつて居るのを尚ぶのである。

頽れの評価ポイントを言語化したものははじめて読んだ。

又、 頽れは一筋頽れを賞するのである。又、二た筋も頽れたものを、連れ頽れと云ふのであるが、是れも、景の善いのは、賞翫せらるヽのである。

つまり、かっこよければどうでもいいという事だろうか?

尚、頽れに就いて、一言、申し添へて置きたいことがあるが、夫れは、現に大徳川家に、有名なる、大名物初花御茶入と云ふ、唐物肩付が御座るが、是れは、其の形は、何とも、申分の無い、善い姿であるが、其の頽れには、聊か、難がある。
其の頽れは、三筋もあつて、而も、一と筋は、頽れ過ぎて、腰から、釉際を過ぎて、遂に、絲切をも冒して居る。
若し、是れが、釉際の二三分上程で、ぴたりと止まつて居たならば、誠に申分が無いのである。
是をこそ玉に瑕とも云ふ可きであらう。

頽れの評価ポイントの話を読んで、私も初花(と松屋肩衝)を思った。
だが、三肩衝の一角に対して堂々と批判するとは実に勇気のいる話ではなかろうか?


著者は続けて言う。「名物には名物になったポイントがどこかを見極めなければいけない」と。そうでないと伝来や書き付けを珍重するだけになってしまうと。


さすがの慧眼だと思う。…でも句点多過ぎだぜ。