茶器の見方3 腰帯

古瀬戸の肩付、殊に、唐物肩付には、箆を以て、其の茶入の腰を一周して、一條の線を畫したものがある。是れを、腰帯と云ふのである。

胴の太い部分の線、胴紐ともいう奴。
著者はこの由来を説明してくれる。

却説、此の腰帯と云ふものは、往昔、支那、我が國でも、常滑などで造つた、大形の水甕の姿が、其の儘、小さな茶入に傳はつて、遺つた一つの景色である。

大きな水瓶の形を写したと時に、水瓶に付いていた腰帯が、その名残りで写された、という事らしい。

昔は、大きな水甕などを拵らへる時に、轆轤と云ふものが無かつた。
其處で、水甕を造るに上と下との二つの部分に分けて、先づ、下半部の方を拵らへて置いて、人間が、板を手に持つて、自分の身體を轆轤代りにして、其の器の周圍をぐるりと廻るのである。
其處で、形が出來た所で、中一日置いて、今度は、繼ぎ足して、上半部を拵らへるのである。
中一日置かねば、上半部の重みで、下半部が、こたへが無く、ひしやげて了ふ恐れがある。
左樣して出來上つたものには、自然、胴のところに、一條の筋が付く樣に成る。

大きな水瓶では、重量対策で上下を分けて造る。だから腰帯ができるのだという。



本当だろうか?

まず第一に、そもそも昔の水瓶に腰帯があるものってそんなにない気がする。

第二に、水瓶がそうだからといって茶入に写す必然性が全然ない。

第三に、黄瀬戸とかにも胴紐が付いている説明にならない。

いささか論拠が弱過ぎるのではないだろうか?