中国と茶碗と日本と3 祥瑞

祥瑞の底に有る銘「五良大甫 呉祥瑞造」。
中国人の著者が読んでも意味がわからないという。


さて、足利義満の時代から招来されていた染付磁器だが、天正まで茶の湯に利用されなかった。
それは:

渡来した染付磁器は、碗にしても更にしても日常生活用具ばかりであり、茶の湯に使えるような器ではなかったからである。
ここでもし、ある日本の茶人の創意がなければ、このような状況がいつまでも続き、祥瑞茶碗の誕生に至ることもなかったのかもしれない。

日本の茶の湯の黎明期、中国の茶は既に煎茶風になっており、茶道具になる様な大きさの茶碗が作られていなかったからである。

染付の茶碗があるのは日本の茶人の注文あったが故であり、著者は

私はこの小堀遠州こそ、のちに祥瑞と呼ばれる染付磁器を景徳鎮に注文することができた、最も有力な候補者であると考える。

遠州にその因を求めている。

んで、「五良大甫 呉祥瑞造」銘の染付を作ったのは誰か?という事に関しては江戸時代から諸説有るらしいのだが、

小堀遠州は「宗甫」のほかに「大有」の号も持っている。私は、遠州の号である「宗甫」と「大有」から一字づつ取り、「大甫」としたのではないかと考える。

遠州の号に因んだ銘を付けた国産の写しである、というのが著者の結論。


「五良大甫 呉祥瑞造」銘の記録以前からしょんずいの名称が存在する、と言うことに関して納得行く話ではないのが若干残念だが、これ以上の考証とかはそれこそ注文記録とかが見付からないと判らないんだろうなぁ。