井戸茶碗の謎
申翰均/バジリコ/2008年。
以前burieさんから頂いた本。
内容自体は出版前からある程度知っていた。
http://d.hatena.ne.jp/plusminusx3/20071021
中国人から見た茶の湯の本の次には、韓国人から見た茶の湯の本を…とか思ったんだが。
「中国と茶碗と日本と」がそれなりにちゃんとした比較文化論になっているのだが、こちらはちと残念な論旨。
例えば:
しかし、私たちの元から去っていった茶碗がありました。四百年ほど前、文禄・慶長の役前後に、日本に持ち去られた茶碗です。私たちはこのことをすっかり忘れていました。
持ち去られる、というのはどういう事か?単なる購入の事か?特に文禄の役の「前」に誰がどうしたというのだろう?
秀吉の命令に、朝鮮陶工と匠を拉致してくると言う指示があったそうです。
この命令、出典はどこなのだろうか?
そもそも、
という事を証明したいのであれば、
という事を証明しないといけない。
さらには
- 拉致された陶工にしか作れない/拉致されなかった陶工には作れなかった理由は何か?
- 日本に拉致された陶工が、日本で井戸茶碗を作っていないのは何故か?あるいは伝統として井戸茶碗を作り続けた窯がないのは何故か?
- 両役後に茶人から朝鮮へ井戸茶碗の注文は無かったのか?
などの疑問にも答えないといけないと思う。
また、
といいたいなら、
を証明できないといけないと思う。前者はできていると思うのだが、後者が証明できていない。本文で対照として掲載されている朝鮮の祭器が、まったく違うデザインなんだな。
残念ながら、想いが先行し過ぎ、先人の研究をきちんと引用し自説を立証するという態度ではないので、いまどきのマジメな茶書として評価するわけにはいかないな、というのが感想かなー。