近世茶道史2 江戸初期の茶
江戸初期の茶の湯状況を著者はこう総括する。
この時期、第一の茶の湯の世界における特徴的なありさまは、武家相応の茶の創出と、これにともなう諸大名への普及であろう。
(中略)
第二にこの時期、利休の茶の影響を受けた多くの人物がいまだ活動をおこなっていたことも重要である。
(中略)
第三の特徴的な点は、それまでさほど茶の湯に興味を示すことがなかった禁中・公家関係者が、茶の湯を取り込みはじめたことであろう
そして第一の点に付いていう。
この江戸幕府草創期、茶の湯の世界が受けた影響は尋常なものではなかった。
自ら茶の湯を好み普及せしめた豊臣秀吉や千利休はすでになく、利休の血脈を引く少庵や宗旦は、いまだ千家再興直後のことでもあったし、かつての利休門下の武将達をとりまく環境も、必ずしも順調なものではなかったからである。
茶の湯における、このような一種の空白期ともいうべき時期は、短時間ではあったけれども、新たな胎動を準備するには十分であった。
織部は、利休の茶に身分制や広さ明るさを採り入れた。それ故に、千家流から嫌われたという。
そして:
有楽が能阿弥流の書院台子の茶を基とした御成の会を企画し、実行していた例をいくらか見出すことができる。
有楽斎は利休の影響の少ない式正の茶を実践していた。
つまり、
がいる状況下ではあったものの、それらの人は状況を変化させる力に欠けていた。
そんな中で、織部と有楽が侘び茶を式正の方へ持っていこうと動いていた…という事か。
大坂夏の陣で壊滅した堺にも、滅びるかどうかの瀬戸際だった千家にも、茶の湯の行く先を動かす力がなかった、という事なんだろうな。
新興商人の台頭ももっと後の筈だし。