近世茶道史9 武家茶道の展開
第3章「茶道の再編」では18世紀のお茶。
第1節は「武家茶道の展開」について。
そのような茶道役達ではあったけれども、江戸時代の中葉を迎えると大きな変化をみせるようになる。
それまで活躍してきた織部、遠州、石州ら茶道師範とよばれる人物達の役割が終りを告げるからである。
すなわち、彼らに幕府が期待していたのは、これまで述べてきたように将軍や大名達にふさわしい茶式や茶道論の創出であったが、これが一定程度完成の域に達した段階でその職務はすでに終りを告げたといってもよいであろう。
遠州石州の時代が終り、武家の茶の湯は各藩茶道役が守るものになった。つまり体制に完全に取り込まれた、という事である。
そんな中で、松平乗邑や松平定信の様な権力者かつ茶人が生まれて来た。
大名に茶道指導者の機能は期待されなくなったからこそ、大名が純粋な茶人になれる時代が来た、という事だろうか。
そして大口樵翁。
享保六年に「刀自袂」という、女性向け茶書を書いていた。
元禄3年に南坊録が世に(というには狭すぎる範囲だが)出て30年。
茶の湯の現状を厳しく否定する本もあれば追認する本もあったというのは面白いことだ。
なお不昧にも言及はあったのだが、道具の本を書いた人…みたいな評価だけなのかいな?この部分いまいち要領を掴めんかったな。