近世茶道史13 禅僧と茶

第3節では、黄梅院大綱宗彦の各種活動について日記から抽出した後、以下の様に語る。

大綱による右のような活動は、一体どのような茶道観に裏付けられていたのであろうか。
残念ながら、大綱自身の日記からは詳しいことはわからない。
ただ参考とすべきは、ちょうどこの頃、同じ禅僧かと思われる寂庵宗沢なる人物によって著された『禅茶録』であろう。

これは「大高源吾の茶風は判らないが、ちょうどこの頃、同じ武士により記されたと思われる『南坊録』が参考になるだろう」ぐらいの乱暴な意見ではなかろうか?

この利休による禅と茶の一体化は、時代を経るにしたがってより明瞭な形をとることとなる。
江戸時代の前半に著された『南方録』をその代表的なものとしてもよいであろう。
(中略)
にもかかわらず、『南方録』を、茶禅一味で一貫した書とするわけにはいかない。
とくに『曲尺割』は、禅よりもむしろ古来の陰陽思想を基とするなかで、体系的に説かれているといった方がよい。
その意味で、『南方録』は禅と陰陽思想を主たるベースとして成立していたともいってよいであろう。
江戸後期に至って、茶の湯を、禅を主体に、というよりも、禅即茶、茶即禅の観点で説いた書が版行される。『禅茶録』である。

この本の茶道史観で気になるのは、南方録を軽視し過ぎているのではないか?という事。井伊直弼の所でも記述はないし。

南方録が偽書かどうか、という事と、南方録が江戸時代の茶の湯に与えた影響があったかどうかというのは分けて考えないといけないと思うのだが…。