近世茶道史12 幕末の武家茶道

第2節では、井伊直弼と伊木三猿斎を事例に、幕末期の武家茶道のありかたを検証する。

井伊直弼は、30代初頭まで埋木舎で不遇に過ごすわけだが

また埋木舎時代の直弼は、茶の湯に対する基本的な思惟をすでに形成していたとも考えられる。すなわち逸話を諸書に渉猟し、のちに『閑夜茶話』として成稿する一書を起筆しているし、「茶非茶、非非茶、只茶耳、是名茶」を参禅の師清涼寺の仙英仏州に呈し自ら境涯を披陳していた。

埋木舎、部屋住み、という印象で誤魔化されがちだが、考えてみると井伊家の名物道具や書籍や禅寺とのつきあいがあった上で、他家へ養子に行く為に教養を叩き込まれてた人の筈だったんだよね。

超マジメ人間への、いわば花嫁修業が行き過ぎて、茶を極めてしまったという感じか。

伊木家のごとく、家中に茶道役をかかえ、これに点茶の修練をうけさせ、茶事に従事させることは、かつて述べたごとく仙台伊達家や将軍家、さらに島津家などにみられ、江戸時代中葉からは、比較的多くの藩で実施されたようであるが、後半期に至ると、これに加えて自ら点茶法を修得しようとする大名や諸藩の上級武士達が見受けられるようになる。
(中略)
茶の湯を単なる儀礼的なものととらえず、積極的に自己のものとしようとしはじめていたのであろう。

「おっさんの接待ゴルフ」の世界から、なんでかガチプロを目指す人が出だしたのが幕末期、とでもいえようか?