近世茶道史14 幕末の家元 近代茶道への道

第4節では玄々斎の活動を描く。

江戸で尾張大納言こと徳川斉荘に茶道を伝授し、種々拝領物があったうえ、二百石取りの身分になったとみえる。

この時期に扶持にありつけるのが凄い。玄々斎の実兄が尾張徳川家家老というのが効いているのだろうな。
そして千家は在京のまま出仕せずに祿を貰う、というやり方を取っていたために伊予松山藩との二重仕官も可能だったというわけか。おいしーなー。

幕末の茶道界にあって次々に新たな活動を展開した玄々斎も、明治四年の廃藩置県、県令の設置など、明治政府による大幅な改革がおこなわれるなかで隠退を表明した。
とはいえ、安穏とした日々をすごしていたのではなく、阿波へ、加賀へとそれまで以上の多忙な活動をくりひろげていたことは、これまでみてきたことである。

江戸へ、阿波へ、加賀へ、伊勢へと勢力的に指導旅行にいった玄々斎。

考えてみると松平の家から入った人間が幕末の京の町の動乱をあっさりスルーして周辺諸国へ旅をしまくったという事になるのか。むしろ避難の意味もあったのかもしれぬ。

でもそれこまでがんばって家督ゆずった養子がアレだったというのはナニな話だ。