新選茶の湯読本7 お茶を挽く

花柳街で、お客がなくて、お座敷へ行かない芸娼妓を「お茶を挽く」という。
(中略)
当時の祇園は、明治天皇の東京遷都で、俄然衰頽して、火が消えたようにさびれたので、その挽回策として「都おどり」が、明治五年に、初めて催されたのである。
しかし祇園は、依然さびれていた。そこで芸者達は、お座敷に出ることよりも、女工場で、製茶のお茶を挽くことの方が多かった。
これが「お茶を挽く」の語源ではないかと思う。

例によって下世話シリーズ。

暇な女郎は副業としてお茶を挽かしていた、というのが語源というが、私は違うんじゃないかと思っている。

吉原の太夫には「客を振る」権利があった。
それより下で、「客を振らない」クラスの女郎がいて「散茶」と呼ばれていた。
「(茶筅を)振る」事がないから「散ずる(煎茶)」。

んで、客が来なきゃそもそも「振る」も「散ずる」もないから「お茶を挽く」じゃないかなー。

ま、どうでもいい話ですね。