茶道ジャーナリズム60年

淡交社/1968年。

淡交ビルヂング竣工記念に出版された回顧本。つまり45年前の60年前の話。…やはりあの時代のビルだったか。


納屋嘉治の「わがよき同志とともに」:

『淡交』が、裏千家淡交会の機関誌として誕生いたしましたのが、昭和二十二年の春でありました。
(中略)
その頃、わたくしの叔父にあたる井口海仙(現在代表取締役)は、戦後いちはやく復刊した『茶道月報』を主宰しておりましたので、この叔父を後見にしてはじめたようなわけで、今から見れば、まことにおはずかしいことでした。

井口海仙の「ビルの前に立って想うこと」:

今日庵月報』が創刊された明治四十一年は、私が師範附属小学校に入学した年であった。
(中略)
今日庵月報』が『茶道月報』と改題したのは大正十一年で、
(中略)
第二次世界大戦には、企業整備で、茶道に関する月刊誌が、一誌に合併されたが『茶道月報』は、終戦になると、いち早く独立して再発行した。
(中略)
それが『淡交』と合併するまで続いた。

つまり、淡交は戦前の茶道月報と全然別の雑誌で、淡々斎の弟が茶道月報を、鵬雲斎の弟が淡交を始め、最終的には淡交が茶道月報を飲み込んだ、という事なのか。

茶道月報が淡交に改題したわえじゃなかったんね。

この辺の事実関係がよくわからんかったから、結構ありがたかったわ。