茶道ジャーナリズム60年4 茶道月報

大正十一年(一九二二)六月、『今日庵月報改題、茶道月報』が通巻百三十八号として発刊された。
(中略)
判型はA5、八十二頁、巻頭口絵アート四頁で構成されている。

現在の淡交と驚くほどそっくり。90年くらい変わってないと言ってもいいのかも。

当時の読者欄から。

近頃は、茶事のあとで、後段が盛なのみならず、三次会も四次会も五次会もあって

大正時代のお茶って、「お金持ちの遊び」感がハンパねぇっす。

しかし別の読者からの投稿も。

私達も茶人である。茶人であるが故に、一度位は茶会を催してみたい。しかし私達の道具は少なく資力も乏しい。リッパな茶会を催さないかぎり、茶人と呼ばれない現今の茶道界では、私達プロレタリヤの人間は、何時までたっても、茶人と呼ばれないでしやう……

実に大正っぽいが、私はこれを掲載した当時の茶道月報の見識が凄いなと思う。

当時の茶道月報をスタンスは以下の様に表明されている。

然し時代の進展、茶道の発展、最早月報が一流一流の機関として甘ずることは、如何考えても、その当を得ていないのであります。
茲に於て、私達は、多大の決心と希望と、更に勇猛心とをもって、旧套を蝉脱し、表題を『茶道月報』と改むるとともに、流儀流派の偏狭姑息な観念を超越し、その門戸を開放して、只管大茶道の為にといふを目標として進んで来ました。

かっこいい!

でもまぁ、お茶が大流行していて、しかも裏千家じゃない近代数寄者がゴロゴロいた時代だから、裏千家限定で茶事情報とか流してたら、ナニソレって感じだったんじゃないかな?

だからこそ、裏千家一人勝ちに近い現代、淡交は裏千家の機関紙に戻っているわけで…。