お茶の学びと人間教育2 日常茶飯

これからの時代、もっと多くの子どもや若者が<お茶>に親しんで欲しい。
これは私だけでなく、少なからぬ人が今、願っていることではないだろうか?
しかしなぜ、<お茶>なのであろう。
「お行儀がよくなるから」とか、「上品な趣味を身に付けておいた方がいいから」ということもないわけではない。
(中略)
基本的にはそういう発想で<お茶>の学びをはじめるのが、最も妥当であり現実的であろう。しかしもっと積極的に、これこれの意味で<お茶>は子どもや若者の(そして大人の)精神的な成長発達に大事な役割を果たす、といった面があるのではないだろうか。
(中略)
すべてのことにおいて「只管」(ただひたすらそのことにうちこむこと)であるよう努めるべき、ということなのである。

お茶は精神的な成長発達に大事な役割を果たす、のだろうか?

単に「年長者や先輩の言うことを聞く習慣のある子どもの方が望ましい」だけなんじゃなかろうか?

子どもが自発的にお茶をしたいって言うんでない限り、子どもにお茶させるのはどうなのかなーと疑問があるんよ。
お茶ってのは割と俗悪な面もある大人の楽しみだと思うんだ。いいトコだけ目を向けてきれい事で済まそうってのは虫が良過ぎるんではなかろうか?