若き日の利休
西堀一三/河原書店/1948年。
西堀一三が描く、young 宗易の物語。
茶の道を大成した利休は、如何にその若き日を過ごしたであらうか。信長や秀吉に仕へる前のありし日を顧る意味からも、亦庶民都市堺が生んだ青年の意志を知る上からも、興味ある問題がこヽに含まれてゐる。
でも、書かれた時代が時代だけに、信頼性の低い資料もありったけ援用し、さらに著者が妄想で膨らませた様な物語。
たとえば:
この輿四郎の事蹟が世に傳へられてゐるのは、十六歳の時に、京都で、南都の松屋を招いたことである。松屋の記録にそれが出てゐて、主人役である輿四郎が、この時十六歳であつたと特に記されてゐる。
松屋の記録は本来「京与四郎」だけ。
「宗易事也」が追記なのは明らか。また十六歳とは書いていない。この与四郎が利休であれば、天文六年に16歳の筈、というだけの話で、与四郎が利休であると同定できていたわけではない。
利休と松屋の縁が長い程いいと思った後世の誰か…おそらく松屋久重あたりが書き加えたのだろう。
堺の商人の息子が、奈良の商人をもてなすに、京都へ移動する必然性がなさすぎる。
だって奈良と堺は街道で結ばれていて、そっちの方が便利な筈なんだもん。