茶道支那行脚5 茶席と茶器

中国では、茶席や茶器にさほど拘らないという。
しかし、コリまくった人だとそうでもないらしい。

要は本當の師匠になると云ふと、自分で茶圃から茶葉を摘み來たり、その製茶の要領で自ら監製してゐるやうである。従つてその苦心は容易でない。
(略)
さうした嵌つている本格的の人から招かれ、お茶に呼ばれると云ふと相當に八釜しい。
先づその呼ばれた客は、その席できつと守らなくてはならぬ心得があるのだ。それは
一、タバコ(香煙)その他點心類に手を出してはならぬこと。
二、翰墨の氣分で書畫なり古玩なり、又佛書なりを見てゐると云ふ心がまへがあつてほしい。又なくてはならぬのである。
これである。
若しこの心得を犯して自らタバコでも勝手に呑むと云ふと、主人はすぐ口を切つて叱る。

全然「八釜しくない」なんて事はない。ちょーうるさい。

曰く
折角自分が茶圃から採り來たつた茶葉で以つて苦心して作つた茶なのだ。その風味を味つてもらふに相當苦心惨澹たるものがあるのだ。
今その風味を味つてもらひたいばかりにかうして點茶をしてゐるに、思ひやりの心もなく、タバコを吸はるヽとはどうした事だ。舌の味覺がごまかされてしまふ。どうぞタバコだけはやめてもらひたいのだ。云々

でも、作法なんかの為じゃなく、味の為に一生懸命…という厳しさがあるのは、ちょっといい話、なのかもしれない。