茶道支那行脚8 闘茶

宋の世以來茶の風俗として見るもののうちに闘茶と云ふがある。

という事で中国の闘茶のお話。

こは茶を互い飲むときその仲間同士の間で茶の水がどこから取り來たれるものであるかを當てつこをすることこれである。

茶の産地でなく、水の評価、というのが面白い。

それと云ふのが支那は南北各地ともに水がわるく、飲料水にならぬところさへ多い。
従つて茶の水に適するところのものは少ないのである。
この故にその茶を賣りあるくものも之がどちらの水を汲み來たるかをあてつこするには極めて興のある勝負事のやうにも見らるヽのである。

むしろ茶の為の名水を売り歩く…という商業があることの方が興味深いが。

闘茶のあてつこをなす仲間はかヽる連中から云ふと極めて神經質の方の人となるわけであるが、しかし茶道にかけては又相當之を鑑することに巧みな人もあるやうである。

確かに「大陸のおおらか」と、闘茶の神経質さとは結び付き難い気はする。
しかしそういう細部に気をつかう人が存在しなければ名水売りも成り立たないわけだから、細かい部分は細かい筈だ。
大陸の茶に関し、細かい話はいつも「味」に密接なのが面白い。