正倉院ぎれ6 出自からみた正倉院ぎれ
正倉院ぎれのうちわけ。
(1)光明皇后献納品中の染織品
(中略)
数はわりあい少ないほうだが、由緒という点からはやはり第一番に記しておかねばらない。
(1)は勅封の理由でもあり、最も国宝らしい豪華なものが収められている。
(2)東大寺大仏開眼会用の染織品
(中略)
大仏開眼会の染織品中、由緒のうえでまず一番に挙げておかねばならないのは開眼縷である。
縷はすなわち糸のことだが、これは糸とはいっても絹糸製の太い撚り縄で、(中略)大仏の瞳に眼晴を点ずる開眼筆(この筆も天平宝物筆の名でいまも正倉院に残っている)の管にこの縄を結びつけ、長く伸ばして参集の人々が手にとり、ともども開眼の功徳に浴したのであった。
つぎにこの会式の荘厳具、調度品としては、幡、敷物、花机の帯、花櫃覆いの帯などが残っている。
(中略)
しかしなんといっても、開眼会関係の染織品のうち、もっとも華やかで、かつ量的にも圧倒的に多いのは楽舞装束である。
大仏開眼の時の儀式の一切合財が放りこまれているわけか。
宝物庫から若干押入っぽくなった気がする。
(3)聖武天皇一周忌斎会用の染織品
こちらも(2)と同様か。
(4)その他の系統の染織品
ここには由来不明のものが含まれる。
(5)特殊な染織品グループ
(中略)
正倉院文書によると、奈良時代、造東大寺司などの工人や写経生には宮司から仕事着が支給されていて、それらは仏寺の仕事にたずさわるといういみから、すべて「浄衣」と呼ばれていた。
で最後、特殊なもの。
スタッフの作業着とか。
調庸△*1布類
正倉院の△、麻布のなかには、いわゆる調庸銘をもつものがしばしばみうけられる。
租庸調で納められた布とか。
調庸の布は、布のはしに「どこが納めた税金か」を書いてあるらしい。
その意味でとくに注目されるのが、現在一点しか残っていない調の綾である。
国産なのが明らかな綾の現存品がある、というのは面白い。
しかしアレですよ。
十七万を超える染織品があり、本当に宝物と言える様な献納品はごく一部で、イベントグッズやスタッフのウェアや国産の税金やらが多く含まれているなら、そりゃ「その大部分が八世紀中葉の、おそらく国産品だったろうということである」って結論にもなるわな。
*1:△=糸+施の旁:あしぎぬ