南坊録に學ぶ6 名物の掛け物

名物のかけ物所持の輩は、床の心得あり。

の部分。
イマサンなので心得の内容はオミット。

最後にもう一つ。甚だ申し難い事であるが、思ひ切つて申して見たい事がある。叱られるかも知れぬし、反駁されるかも知れぬが、私の苦衷のある所を御諒解願ひたい事がある。
それは當代お家元の墨跡を如何樣の心得から、お席にかけて然るべきかの問題である。

おっと、危険なネタを。
本書は「淡交」連載だった様なので、なおさら危険度高い。

同門の人々が、寄り集つた場合に、その流派のお家元の墨跡を床にかけて、家元の心を心として身に躰してお茶を點てるとか、家元に臨席を乞うた意味で、その前で點てるとかの心得を以てするならば──これは必ずさう言ふ心得で以てなされねばならないが──それに對しては何も異論はない。

南坊録的には「俗筆の物は、かくる事なき」って事から、著者は家元を俗と思っていなかった事が知れる…のか?ちょっと違いそうだ。

が、問題になるのは、同門でない人々の集りとか、茶湯に關知しない人々をも招いた席に、家元の筆跡をかけ、その前に頭を下げさせて、それでよいかといふ事である。
(中略)
御家元の墨跡に頭を下げさせる事を強ゐる事が、果して謙譲の精神にならうか。
そこにまだまだ考へるべき餘地があると思ふ。

ある宗派の坊さんを客にした時に、別の宗派の坊さんの墨跡を掛けてはいけない様に、他流無流の人を客にした時に、家元の軸とか駄目に決まってるじゃん。

家元への尊敬は原則その流儀の中限定だよ。