茶道言行録2 紹鴎と利休

利休は、一説には紹鴎の弟子だったという。

そして利休は北向道陳に台子を習ったという。

でも利休は紹鴎の弟子であるなら、紹鴎に習うのが本筋。これを西堀一三はこう説明する。

臺子の茶を教へ下されば生涯の面目たるよしを懇望したが、紹鴎は、尤もの事であるが、臺子に粧ふべき道具を一種も持たず之を學んでも詮なき事で、左樣の道具を一種にても欲しいと思ふ慾心が起れば、其方の様に「タケリキリタル」心中を穢すことになる。それも情なき事で、たゞ侘數奇一偏の覺悟を持たれたがよいと答えた。

  1. 利休は侘数寄で、名物道具を持っていなかった。
  2. 紹鴎は、名物道具を持ちたいという欲は利休に有害だと思っていた。

紹鴎が死ぬ前の利休でも善好香炉とかを持っていた筈なので、この話は「利休は紹鴎の弟子」「利休は侘び数寄である」という先入観と、利休が道陳から台子を習ったと言う歴史資料と、奥秘である台子を学ばない茶人なんてあり得ないという体制側の思想があいまってつじつまを合わせようとした産物なんじゃろうね。