茶道言行録5 宗旦の母

利休の一件の時である。その一族にも成敗があるとの噂が世上に流れた。
(中略)
それは、少庵の妻にして、宗旦の母なる人が、この危難の家に歸つて來たことである。
それ以前に離別され、今は縁なき人となつて居たのに、許しなくしてこの家に歸つて來たのである。
勿論、死すべくば共に死なんの志であつて、殊更に死につかんとした志は咸動せられる。
死すべきに死した例は世上に多いが、この婦人の場合は、死すべきに死なんとした以上のことである。

利休の賜死の後、族滅の噂がある中で、離別された宗旦の母は千家に戻って来たという。

この際の言葉を「松屋筆記」は傳へて居るが、それには次の樣にある。
「少庵はにくけれども、宗旦同時ニ果テ可申トテ籠居タリ」

いったい何をやっちゃったんだ少庵。

この少庵の室は、如何なる出自の人であつたかその邊は不明である。

西堀一三としては「宗旦の母の出自は不明」という事なんだが、それだと宗旦には千家の血が流れてない事になるな。

妻の連れ子に娘を娶らせるのも変だが、嫡男道安がいる状況下で義理の息子と実の娘の仲が悪くなったからって娘の方を追い出すっていうのもまたおかしいから、少庵の妻が利休の娘、というのは現千家に利休の血が入ってて欲しい人達の願望から生まれたとしか思えないよね。