茶道言行録4 濡れ板

古田織部大阪城の二の丸で、秀頼に茶を上げた時、炎天に乾かされて俄作りの戸板などが反たので、織部の作意にて之を水に濡らし、漸く間に合わせた。
この作意を織部の内の者であつた道巴なるものが、京に歸つて人に語つたので、これを聞及んだ木村宗喜は、茶の湯の度ごとに、にじり上がりの戸を始めとし、何れの戸をも濡らした。
「しめしたてずばかなはぬやにもてなし侍る也」と「草人木」に書いて居る。

木村宗喜は織部の家臣で、大坂夏の陣の時に豊臣方に内通し京に放火しようとした、とされる人。織部切腹の原因である。

草人木ではなぜか織部フォロアーの京の茶人の様に書かれている。

草人木の書かれた頃の歴史知識だと仕方がない部分もあるかもしれないが、昭和にもなって西堀一三がどうしてこの事に突っ込まないのか不思議。