茶道言行録6 雪の朝

雪の朝は、茶の湯の人々にとつて最も大切であつた。
(中略)
又、この雪の朝、客を迎へ入れるのに、飛石の上の雪をどうするかと云ふ事も考へられた。
其儘にしておけば、客に迷惑をかける。さればと云つて掃けば周圍をけがす事になる。
そこで、飛石の上に湯をかければ、そこだけ消えると考へた人がある。
(中略)
そこで更に工夫をして、前日より飛石の上に小さいムシロを置き、それを朝になつてとれば、自然なまゝで飛石が現れるではないかと考へた人もある。
(中略)
そこで利休であるが、ある雪の日の朝、利休の露地を訪ねると、昨夜來降りつむ雪はその儘である。
一瞬不審に思つたが、間もなく出て來た利休は、飛石の上を掃きのけ、掃きのけ、迎へに出て來たと云ふ。
これだけの自然さが外の人には思ひ付かなかつたのである。

よくできた話なんだけど、客は亭主が迎えに来る前に露地を覗いているものだろうか?
中潜りの向うから来た亭主と目が合ったりすると、気まずくないか?
ちょっと出来過ぎな気がしますね。

然し、以上の樣な事よりも、左の言葉は更に意が深い。

雪ノ朝人ノモトヘ尋行ニハ先我方ニ釜ヲカケテ行也、
若先ノ人朝寝ナトシテ其用意ナケレバ先ノ人ヲワガ方ヘイサナイ歸ルヲ本意トス。

これは、「庸軒舊聞録」にある語である。

遊びに行っていいのは遊びに来られていい覚悟の出来ている者だけだ!って事ね。