茶道聖典2 南坊宛の傳書

島津家伝来堀越宗圓所持。天正元年九月十六日 南坊宛の奥書きがある伝書。

解題より:

宛名の南坊は彼の南方録の筆者南坊宗啓ではないかと言はれるが、それならば寧ろ宗啓の宛名でなければならぬ。この南坊は高山南坊であると思はれる。

問題は、宛先がどっちかではない気がするけど。

内容は道具の置き合わせの図に加え、どういう風にお点前するかを書いたもの。

例えば;

此手前ハ水指の上に茶巾ふくた(たさ)め候て置、其上ニ横になし、茶筅置事也、
扨水さしニ付候て茶杓左の方ニかくる、、茶の時分コボシ柄杓持添出候て、右風呂の所○立る事也。

詳細は違うものの、現代の茶筅かざりとそう違わない。

こんな感じで置き合わせ/棚飾りの紹介+そのお点前が延々書いてある。


でもまぁ、後世の偽物だと思うので、内容の検証とか、天正元年頃に利休の弟子だった南坊は誰か?の検討は要らないだろう。

理由は:

カコイノ床ニ七飾有事

壱番

懸物斗懸置、後中立過テ花生る事常ノ事也。

昔検証したが、

http://d.hatena.ne.jp/plusminusx3/20091220

天正元年頃には掛け物→花の流れの茶会は「常の事」ではない。利休ですらそんな事してないから。