茶道聖典4 野村宗覺宛の傳書

台子、袋棚、盆点、夜会に関する伝書。

一、茶の湯は臺子根本也。臺子を略して風爐の茶、風爐を略して圍爐裏になる。

なんか利休が言いそうで、でも言いそうもない感じ。

一、茶立つる時は、先づ水翻にとりつきてよし。
右あかり(明り)ならば、水翻を左に置くべし。
左あかりならば、右の方へおろし、扨蓋置を水翻の跡に置く也。

明り方向が勝手の言い替えになっているのが、古風ではある。
織部好みの茶室になると亭主が一番明るい場所で、亭主の客付側が暗かったりするからね。

でもこれもまた奥書きが

天正九年九月 利休居士宗易

なので、かなーり怪しい。
利休という賜号は天正13年だから。

賜号以前から利休と言う号は使われていた、といろいろ理屈が考えられているが、決定的な証拠がない以上、どれもこれも偽物を本物にする為の理屈だと私は思っている。