茶道聖典13 惟新様(島津義弘)より利休へ御尋之條書

島津義弘が利休に尋ねた事に対し、利休が解答を追記して返答した書。
鹿児島県立図書館蔵。

島津家に保存されていたのならかなり本当臭いのだが、なぜか琉球王家周辺に伝来したものらしい。私には裏が取れないのでまずはそこには拘らない事とする。

作成された時期は島津の降伏した天正15年から利休が死ぬ天正19年の4年間の間の話の可能性が高いが、それ以前に交流があっても別に不思議ではないので、なんとも言いがたい。

内容はこんな感じ。

一、客人へ亭主出合所(デアヒドコロ)の事。
○客人により遠近不定候。送行も右のごとく。

一、で始まるのが島津義弘の質問で、○で始まるのが利休の解答という事になる。

では面白い所をチョイス。

一、炭なほす時分の定候哉の事
○必ず直す時分とて不定候。湯沸き候はねば、何時も直すまでにて候。亦、炭直すを客人見るべきとて長居すること惡しく候。客人立つべき時に亭主直し候へば、見るまでにて候。

初炭にしても後炭にしても、客人が居なくなるタイミングに亭主が炭を直す法はない。立炭を一般化する話ではないと思うし。
もしかすると利休の時代には、三炭といった様式化された炭のタイミングは無かったのかもしれない。

一、手水に湯を出す事も候哉の事。
○寒天などには、ひさげ等に湯を注ぎ出す事も可然にて候。

利休にしては温いやり方であるが、大大名に対しては厳しいことは言わないのかもしれない。

一、籠の花入、當世すたり候哉の事。
附。水打ち候哉の事。
同、地におき候哉の事。
物にかけ候哉の事。
○然るべき、花かごは當世も用ひ候。水など打ち候事はなく候。地に置きたるが能く候。物に懸け候もなき事に候。地にすわらざる花入は物にかけ候て可然候。

「唐物籠なんて今時使いませんよね?あと水打ちますか?床に置きますか掛けますか?」
という質問に対し、「使いますよー。水は打ちません。床に置くといいですよ。まぁ掛けないでもないですけど。床に置けない奴はねー」と理路整然とした解答。
籠に板を敷くかどうか解答しなかったのがすごっく惜しい。

一、小壺、棗など袋に入れ候哉の事。
肩衝、棗など袋入にする事は、茶の風引き候はん用心の意にて候。但、夏にかゝり候ては、いれざる儀にて候。

夏は仕覆無しで茶を点てていたとは意外である。

一、くさりは當世廢り候哉の事
○大方當世すたり候哉と見え申候。

室町の茶では大流行した「釣釜(+五徳の蓋置)」は、天正には全然流行ってないのは事実である。

一、釜の蓋とりやうの事
○指二ツにて取り候事、見よく御座候。

指二本での扱いは後には蟹手という禁になるのも面白い。

一、茶碗を水こぼしの中に入れ候て、取り出し候事いかゞの事。
○我等はさやうに致したる事無之儀にて御座候。

利休は入子点はしていなかったという事になるか。

興味深い内容なので原文も途中で失われている様なのが残念。