茶道聖典12 松江宗徳宛の傳書

島津家伝来の表題の書と、元禄十五年版の「茶之湯六宗匠傳記」に収録された版の両方が併記されている。

冒頭の

一、盆立當代通法の大躰は茶入を右にて取上ゲ、まへにあるごとく袋さばきをして茶入ヲ出、下ニをき、ふくさ物を取出、盆をふくさ物ながら右ニテ取、左の手ニテ盆のふちを持、順ニまはして、ふちをぬぐひ、内をのごひ、扨左ノ方のふちのすみにてふきおさめ、

の部分、「野村宗覺宛の伝書」の「盆點の次第」の途中からと酷似している。

野村宗覺宛の伝書の該当部分。

(前略)茶入を右にて取り、常の如く袋さばきをして、先づ、此茶入を下に置いて、ふくさ物を取出し、盆をふくさ物ながら右にて取り、左にて盆もふちを取り、順にまはし、ふちをのごひ、叉、盆の内をものごひ、扨、左のほうのふちすみにてふき
納め、

ただしそこ以降はちょっと違っていて:

一、茶杓のさきを盆のひらにをき、えさきをば前のふちより外へ五分も出して置事もあり、出さぬ事もあり。又茶杓によりて茶入の前ニよこニ置事もあり、又茶入の右の方ノふちの外へ柄さき出す事も有、口傳是あり師傳○○

割と細かい話+口伝あるよ、という文章が目立つ。他の伝書にあまり見ない形態である。
利休の死後に口伝できる人が居る筈もないので、意味がない。もったいぶった方がありがたい感じがするからだろうか?

なお銭屋松江宗徳は、宗旦とかと同世代の茶人と思われるので、利休の弟子になるのは難しそうだ。その辺が破綻かな。