川上不白 茶中茶外7 朝顔の茶の湯

「香の茶の湯」の記述が、茶話指月集→不白筆記の間に変容した、という話を昨日書いたが、朝顔茶の湯も同様。

不白筆記;

一、朝顔茶の湯。是も利休なされ候。
客は紹巴、道喜となり。
紹巴ハ利休の連歌の師也。
折節路次に朝顔見事に咲、依て約束致候茶也。約束にまかせ其朝来る。
路次へ入て見れバ、朝顔一つもなし。

紹巴が利休の弟子である、という表記は多いが、その逆は珍しい。

茶話指月集:

宗易庭に牽牛花みごとにさきたるよし。
太閤へ申し上ぐる人あり。
さらば御覧ぜんとて、朝の茶の湯に渡御ありしに

客が太閤→紹巴、道喜に変わっている。

また、「朝顔見事なのを聞き付けて御成にきた」→「朝顔見事なので茶の約束をした」となっている。


茶話指月集が「権力者の横車をきれいにかわす話」なのに不白筆記が「利休が招いた時の趣向」になってしまっているのはちょっとスケールダウンかな。


藤村庸軒の立場では言える反骨も、大名から祿を貰っている家元となると言いがたい、という事なのかもしれない。