川上不白 茶中茶外6 香の茶の湯

香の茶の湯といふハ、是は利休の茶にて候。
客は志野宗匠也。
雪の時の由、利迎に出る時、香を焚持参して客へ渡し申候。
折節、客も香炉持参して香を焚直に取替利へ渡す。
利休是をきゝ数寄屋床へ飾置。
客香炉持入て、床の香炉をおろし主の香炉を床へ飾申候。
是か世に云ふ香の茶之湯也。

これに関し、茶話指月集に、ほぼ同じ話が載っている。

一とせ、休、雪の暁、葭屋町の宅より蓑笠きて紹知所へたずねられしが、露地に入りて、みの笠ぬぐとて、紹知迎えに出たれば、千鳥の香炉に火の取りたるを「これ、紹知」とて、右の袖より渡せば、紹知、左の手にうけとり、「私も懐中候」とて、右の手より香炉をわたす。休、はなはだ入興せらるると也。

より古い文献である茶話指月集では

亭主:藪内紹智 客:千利休

だったのが、

亭主:利休 客:志野宗信

にすりかわっている。

しかし利休が亭主になろうが、利休が客になろうが、先に香炉を渡すのは常に利休であるところがちょっと面白い。どっちが先だってええやん…とは思わないんだろうな。こういう場合。


別の場所にはこういう記事も。

古来、香炉の茶の湯と云う事有り。其故実知る人稀也。
(以下内容紹介無し)


不白は茶話指月集の存在を知らなかったんだろうか?
それとも知っていて敢えて混同させたんだろうか?
不白の様な勉強好きが読んでないとは思えないのだが…。


いくつか考えつく。


不白は茶話指月集を知らず、表千家では志野宗信に関する伝承に変貌して伝わっていた場合。


不白は茶話指月集を読んでいたが、利休が客なのが気にくわず改変した場合。


最後に、不白は茶話指月集を読んでいて紹智と利休の話を知っていた上で、自分の知っていた利休と宗信の話も追加した、という場合。
この場合、冬の茶事で互いに袖から香炉を出す行為が、寒さ対策の思いやりから、単なる作法にグレードダウンしてしまうのが悲しい。