川上不白 茶中茶外10 不白筆記 まとめ

不白筆記は、不白から卒啄斎へ送る書として書かれた、という。
だから「幼い卒啄斎に贈った通信教育参考書」と独り合点していたのだが…。

巻末年表に言う。

(五十六才) 安永三年(一七七四)
     ○十一月 卒啄斎に贈る書<不白筆記>を著す。


1744年生まれの卒啄斎は安永三年には30歳。
不白が養育し終えてから20年近く経っている。

…卒啄斎にはこんな茶書が必要だったのだろうか?
いい加減自立した後で遠くの養父が贈って来る茶書って、むしろ迷惑じゃねぇ?
30歳になってやっと不審庵の使い方を教わった…なんてこと、考えられないし。

不白筆記の位置付けが判らなくなってしまった。