家元ものがたり2 家元制度と武家社会

家元制度は広くから上がりを取り、教授陣に富と権威を分配するような仕組みである。

つまり:

いまも述べたように、家元制度が成立するためには、一代相伝・名取制度が成立したことが必須の条件であるが、このことはそこに非常に多数の弟子ができたこと、つまり素人の人たちでそのわざを稽古する人たちがばくだいな人数に及んだという、そういう現実の情勢があらわれ、そのような事情のもとに、はじめて名取制度ができてくるのである。

たくさんの生徒と、生徒から成長した講師陣が居なくてははじまらない。

生徒が居なくては集金できない。講師陣が居なくては、家元が教えられる直弟子の数に限界があるからだ。

しかし、武家茶道で一世を風靡した石州流は家元制度を持てなかった。

ところで、このような武家社会に隆盛を誇った茶道の遠州流や石州流は、多くの弟子を抱えることにはなったけれども、なおいまだ家元制度と言う大きな統一的集団社会を組み上げることはできなかった。

なぜか。

つまり各藩がそれぞれ独立国であって、(中略)その相伝の形式は、すべて完全相伝でなければならないという、そういう条件が強く行われていたことに由来する。

藩主を中心とする武家社会では、その枠を超えて横断的に権威が存在してはいけないから、だよな。

だから各千家も武家に対しては自ら祿を喰むという形で所属したわけだし。