茶の湯講座

千宗守/日本放送出版協會/1938年。

昭和13年NHKラジオ講座のテキスト。

ただし:

點前の講義は、昭和十一年十一月末から十二月にかけて八回テキストを用ひて講述したものゝ速記を修正し且つ増補を行つたものであります。

という事は、実際のラジオ放送時にはテキストは無かった、という事か。

レコードくらいしか録音する機材がない時代だから、生放送で講義していたんだろうと思う。そういう方式では事前にテキストを作る、というのも困難なのかもしれない。

おてまへは昔から實習、實行しなければ容易に修得し難いものと信ぜられてをり、又實際今日に於ても繰返し繰返し練習してやつて行く事が必要であるのは言ふ迄もない事なのです。
然し最初此試みをやつて見たら、即ちおてまへを讀む事と聞く事だけで修得しようとして見たらどれ位の程度に覺える事が出來るであらうかと、可成り興味を以てやつてみたのであるが、

一応「読む事」についても言及があるので、なんらかのテキストはあったのかもしれない。

其後質問書や人の噂さ等から考へてみると、おてまへを多少でも稽古した經驗を持つてゐる人には參考になるが、全く何も知らない人には矢張り判らなかつたと言ふやうな具合であつた。

まぁそうだろうな。

これは當然の事であつて、私自身炭でまへの放送をやつてゐる時、其の手續を順次述べてゐる最中に之を聞いてゐる人々が、今炭を此處に入れて言つても、其言葉の瞬間は解つても其時には巳に其以前がどうなつたやら、とても初めての人に覺えてゐられる譯がない、と思ふと誠に生彩のない退屈な話になり三十分間が如何にも長いぞと咸じた事であつた。

いや、それはやる前にちょっと考えればわかるっしょ。