茶の湯講座2 御手前の効果

ラジオの表現力の限界を知った官休庵

結局は家で耳から聞くだけでなく、実際に繰り返し繰り返しやってみるしかないと結論付ける。

さてそれならば御手前をそんなに年月を費してやつて見て、そこにどんな効果があるであらうかといふ疑問が生じて來る事となる。

ではその効果は?

それは結局は如何なる事でも物でも、それを扱ひ運用する主人の人如何といふ事が最後の物であつて主客相契合する處に妙所が存在し、只單に展覧會に行つて名物名器を參觀するだけの面白さや興味とはそこに相當軒輊があり、茶の湯の催しにふさはしい適當な茶席や茶庭で一箇宛の名器を綜合して巧に組合せ手足の如くに使ふのが主人の面白味なのである。
それをするには御手前が必要となつて來る。

もちろん、亭主がお客さんにお茶を出すのに必要、という事にはなっている。

しかし:

しかし其の時の御手前は上手下手といふ事はそんなに重きを措かない、實用に足りさへすれば事足るともいへる。

えーー?とか思うがそりゃそうか。
確かに点前の練習は、すればするだけうまくなると思うが、あるレベル以上にうまい必要は確かにないわ。

それなら如何なる時に必要の為に絶えず習練をしなければならないかといふと、それは正しく茶道に通達するが為である。

納得いくようないかないような。
坐禅みたいな扱いと思えばいいのか。