茶の湯講座6 茶筅とほし

この本、お点前の手順の中で、なぜか茶筅通しのトコだけ妙に描写が細かい。

もしかすると茶筅通しは武者小路千家の流儀の中では、ものすごく重要なステップなのかもしれない。

なぜなら:

茶筅を客の前でよく調べ又茶筅の固い初めて使ふものなどは、多少お茶碗にそぐふやうに柔かくする。
茶筅の折れなどが絶對にないやうにする。
さういふところに氣を配つて客の前でこのやうに美しい立派な茶筅であるといふことを示すともに、自分もこのやうに美しいといふ滿足を得るやうにするためにやるものであります。

「自分の美的な満足の為」と言い切る程の見せ場だから。
描写は更にテンドンする。

一體にお茶の儀式は始めから清潔を旨としたもので既に水屋で以て十分に清浄にしてはありますが、改めてそれを人前で行ふといふことは、いろ/\他の場合にも行はれるやうに、それはお客にかくの通り非常に清潔になつたといふ表情を十分に示して清潔の滿足を輿へ、又自分も人前でそれを行つてこのやうに清浄になつたといふ公式的な清浄滿足を得るのである。

表情を十分に示すのか。ムフー。

現代の武者小路千家でも、茶筅通しの際にはドヤ顔するのかぜひ確認せねばなるまいな。