茶の湯講座8 立礼

立礼について。

(略)
第二として今日普通の一の生活樣式から考へて、何よりも樂な腰掛けで先づやつてみたらばと言ふ註文が屡々出て參ります。
(中略)
そこで實際の御手前をやらない茶道研究家や、又俸給生活者などでこれから御茶を初めようと企つる人々が腰掛手前と言ふものゝ要求を第一に出して參るので御座います。

注文が来る、という事は昭和11年頃の段階で、武者小路千家には立礼は採用されていなかったのだろうか?
当時でも既にお点前をしない茶道研究家が居た、というのも面白い。具体的には誰なんだろうね?

この腰掛手前と言ふものをそれで設備をし、實際にやつて見やうと言ふ譯で大して深くも考へず單に坐する代りの腰掛けといふ意味で思ひ付きのことをやつて見るのであります。
ところが暫らくの間腰掛で手前の稽古をやり、又坐つてもやると言ふ具合でやつて參りまして其の内少し坐ると言ふことの稽古をしてゐると、誰れでも直ぐに相當の時間であれば坐ることが出来るやうになります。
(中略)
腰掛手前などは眞面目に論議する程の問題ではない、どうしてもこの茶と言ふものは坐つてやると言ふところに面白味がある、それでなければ本當のお茶の味ひと言ふものは湧いて来ない、と言ふことを申しまして、

「正座できないから立礼」というのに「稽古すれば正座出来るようになるから」という反論で論破完了。

…でも、それは反論になってないと思うなぁ。
膝が悪くて正座不可能とか、そういう人への配慮も必要だと思うの。


今は武者小路千家にも立礼はあるみたいだが、いつ採用されたのだろうか?
有隣斎になってからなのか、もしや不徹斎になってからなのだろうか?
案外敗戦による迎合だったりするかもね。