茶 私の見方12 職業茶人

志賀直哉の「茶について」より。

私は茶道の事をいふ資格のないものであるが(略)

今回は一応自称門外漢の意見。

茶の精神といふやうな事も云はれてゐる。
さういっていいやうな、禪などとも多少通ずるものが茶にはあるかと思ふ。
然し、實際の場合として、精神とか禪とかいふ事とは凡そ縁もゆかりもない連中が茶人ですと、商賣の宣傳にこれつとめてゐる有樣を見ると、茶道そのものに對してまで、ある反感が起って來る。

敗戦から十年も経たないうちに、財閥を解体した後で、茶の湯は既に商売として隆盛していたという事か。

私は茶道が今のやうな流行の仕方をしていいものかどうかを疑ふ。
それで食ってゐる人が多過ぎるのではないかと思ふ。
茶は利休の昔から職業化してゐるやうであるが、さういふ職業茶人がゐなくなった時、却って本統の茶が生れるのではないかといふやうな事も考へられる。

茶を先鋭化させる事/教える内容を増やした事と、茶人を育成することに茶匠を育成する事の間に差を設けなかった事が茶の湯の構造的な問題だと思う。

茶の湯はもっと緩く、そして緩いなりに各自の創意工夫を認める様な楽しい文化として成長してもよかったんじゃないかと思う。

それで流行したか/生き残ったかはまた疑問ではあるけれど。