茶 私の見方16 利休の朝顔の茶
利休の朝顔の茶會、これについては既に御聞きになった事がありませう。
それは古くからいろいろな物に書かれ、また語り續けられてゐる極めて名高い話でありますから。
然しこの話は誠にあった事か否か、利休時代の書物には今のところ見出されてゐません。
私もこの話は変だなと思ってちょっとは調べていた。
同時代の資料に載ったのを今のところ知らない。
この傳へとかまり時の隔たりはない片桐石州の弟子、怡渓の茶書があります。
それによりますと、この話は少し變って
「朝顔の路次の事は、古織數寄屋に朝顔はひ掛り、尤も見事に附き、人々見度き由、茶湯被致所望故、朝顔を不殘捨られ、茶の時、床の花入に、二三輪置き見せらるゝと云ひ傳ふ」
と云ふのであります。
同じ仕方の朝顔の話でも、こゝには前のやうな華々しさがありません。
もはやこれには秀吉も利休も出て來ませず、古田織部の茶の筋をひく石州の流らしく、織部の新しい作意の茶として談られ、然もその相手は誰であったかも知らされてゐません。
もしかすると(よりシンプルなディテールを持つ)織部の逸話だったかもしれない、と著者は言っている。
この話の終りに「異説多し」とも添へ書きしてゐますので、そのころから或は利休といふ説もあったかも知れません。
著者の主張としては、
- こういう作意自体は織部の方が似つかわしい
- しかし客が秀吉である事から、利休の反骨を表現するエピソードとなった
という事らしい。
説得力は感じる。
なお私は昼茶事がさかんになった影響で朝顔の茶が廃れた。その理由付けにエピソードが拾われたという説を考えている。