茶 私の見方17 禅茶録
古田紹欽「禪茶録」より。
茶道についてのいゝ書物が少ない。
南坊宗啓の手になったものか、誰が書いたか知らないが所謂、利休著南方録といふものも、一寸讀むには理窟ぽくてむつかしい。
南方録の影響は昭和40年代まで続く。だが、一部からは昭和28年の段階で見切りが付けられていたわけか。
この書は禪茶録といふ題名通りに茶の精神は禪であると説くのである。
(中略)
この書の著者は寂庵宗澤となってをり、東都の人といふだけで私にはよくわからない。
(中略)
この書の出版が文政十一年であるから、早くて宗旦のなくなった前後遅くてこの書の出た頃の間に寂庵は在世した人らしい。
早くて1658、遅くて1828というのは範囲あまりに広すぎ。
もう十分に茶書が出揃った幕末に、南方録の影響を受けて出た、という事を否定しづらい。
大仰に云へば茶書はこの書が一冊あれば澤山であるのにどうして世の茶人がこの書を廣く讀むに至らなかったのであらうか。
茶道古典全集に含まれるまで、この本を読むのはすごい大変だった様だ。
原因は多分それだけだと思うんだけど。
本書には禅茶録が巻末付録になっているのでちょっとお徳感。
…ということで、明日からは禅茶録。
著者がそこまで惚れ込む理由を探るぜ。