禅茶録8 露地の事
今の世俗、庭を指て内露地外露地と稱すれど、義理に於て甚相違せり。
本露地とは露ハあらはると訓じ、地は心を云り。此自性を露はすの義也。
一才の煩惱を離斷して眞如實相の本性を露す故に露地といふ。
露地は単なる庭ではなく、別世界の入口だと著者はいう。
南方録(というか壺中炉談)の受け売りではあるが。
此義を取來て茶室は本性を露す道場ぞと云意にて露地とは名付けたるなり。
故に露地とは茶室の一名也。
露地は南方録の一般化でひろまった用語なわけだから、立花実山の造語に引き摺られ、当て字を本来の文字として字義を一生懸命解説しているってことなる。
それはそれで恥ずかしいが、実の所「南方録の聖典化」が進んでしまっている、という事を意味するのだろう。
当時はまともに茶史の研究はされてなかったんだろうなぁ。
にしても「人という字は人と人が支えあって」みたいな説明は江戸時代からあったんじゃね。