茶の湯のしるべ3 中国の茶史

中国の茶史の話は、当然陸羽を中心とする。が:

次いで芦同(ろどう)いふ茶道の祖が出まして、

芦同は唐の盧仝だろうか。


盧仝は「一碗喉吻潤」みたいな詩を残した人である。

そして甘露の変で命を落した。


甘露の変は宦官一掃を目指したが失敗した政変である。

盧仝はどさくさに殺された筈なのだが…。


「茶道全集」には面白い異説が書いてあった。

諸岡存の「陸羽と茶經」より:

茶の國家専賣 (木+寉)茶
(中略)
その後、穆宗即位してからは、土木の工費等の為に、又もや佞臣王播・王涯等の興利の策を用ゐて、五割の重税を課するに到つた。
そこで當時既に飲茶の風に慣れた人民は非常に困り、種々の脱税を企てたが、税務官は其上々々に工夫して誅求するので、果てには百姓の怨嗟を買ひ、甘露の變の際に、王涯の一家一族も瓦石で擲打されて虐殺されるに到つた。彼の友人であつて有名な茶詩人盧仝までが、この時の災を免るゝ事が出來なかつた。

ボストン茶会の900年以上前に、茶税で反乱が起きていた、という事か。


王涯に関しては日本のWikipediaには記述はないが、中国の維基百科にはある。

http://zh.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E6%B6%AF

百姓因(木+寉)茶之故怨恨王涯,在他被押赴刑場時向他投擲瓦塊石頭。

でもこれだと、王涯は禁兵に捕らえられて腰斬された事になる。そして刑場に連行されるとき、庶民は茶税の怨みで石を投げた。というだけで、庶民に殺されたわけでは無いようだ。