茶の湯のしるべ4 茶の湯の作法

茶の湯の作法と申しますのは、つまり客を招いて茶を侑めます茶會の作法であります。
親戚、故舊、知己、朋友などが一室に集りまして、其の情を温め、交誼を親密にいたします。
しかも一舉一動にもよく禮儀を保ち、談話にも説を亂さず、質素を旨とし、常に互に心中一つの汚濁もなく、清雅淡泊に世事を忘れて身を安らかに修めます事が、茶の湯の肝要な作法なのであります。

本書の著者の趣味がよくわかる一節。
ものすごく侘び寄りの茶人である。

かう申しますと茶の湯の作法は、難しいものだとか、閑人の修むべきもの等と思はれまして、はじめから茶の湯を一般の日事から、かけ離れてしまつて考へる人も多くございますが、茶の湯といふのも、決してそのやうなものではないのです。

しかし現実がそうなっていないのは茶の指導者達だという。

尤もかうした間違つた考へを殘すやうになりましたのは、斯道の先生とか師匠の中には、單に末枝とか細節にばかり重きを置いて、かうした席には何の器物を用ひねばならぬとか、この場合は彼の衣服が必要であるとか、この衣服を着用せねば古式作法に反するもの等と、細微を徒らにやかましく云つて、茶の湯の本旨を忘れました弊害であります。

内輪で行われる茶は、さまざまにやかましい事をいわれても、無視して創意工夫できなくはない。

でももし茶の湯が公開の場で行われていたらそうは行かなかっただろう。


公衆の目に晒される着物業界が、着物の格だとか約束をやかましく言った為かおそろしい速度で衰退していったのを考えると、茶の湯は内向きの趣味だけに助かったのかも知れない。