致知8月号

致知という雑誌の8月号に、藤田登太郎先生のインタヴューが載っている。
ギャラリー窯倉さんにいただいた。感謝。

十代の頃、すでに私の焼いた唐津焼萩焼は大きな評判を呼ぶようになっており、自分でも「いっぱしの職人として通用するのでは」という自負心がございました。
(略)
大徳寺の立花大亀老師にお会いした時のことです。
立花老師はこうおっしゃいました。
「ああ、これはええ井戸茶碗やな。立派なもんや。ここまでできる人を私は見たことがない。藤田さん、ここまでできるんやったらな、日本にはまだどこで焼いたかも分からん、誰が焼いたかも分からん、天皇さでも持てなかった桃山志野という焼物がある。これを焼いてみたらどうや」

若き天才だった藤田先生が、立花大亀に与えられた試練。

アケボノは可児市の限られた場所にしか存在しない原土で、触ると鉄気、粘りけのないさらさらした土でした。これが探していた百草土ではないかと直感的に思った私は、それを持ち帰ってロクロで挽いてみましたが、なかなか上手くはいきません。
結果的には成形するだけで五年の歳月がかかってしまいましたが、
(中略)
しかしそれだけのことをやっても、なかなか志野は焼けません。
五十二歳の時、私はついに「これ以上やって焼けなかったら、自分には志野を焼く資格がないと思って、もう諦めよう」

なんと壮絶な話か。

内容は、藤田先生から直接聞いたことのある話が中心ではある。

でも「あ、その茶碗は十代の頃に焼いた奴」「ええっ?(天才か!)」みたいなやりとりなしでこのすごい苦労話が伝わるかちょっと心配。