樂燒の仕方

高山流月/芳文堂出版部/1922年。

大正末期の楽焼の焼き方の本。
技術的な点はともかく、ところどころおもしろいのでつまんでみる。

自序

現代は餘りに質的に傾いては居まいか、昔の一の顔は圓くあつたが、今日は角張つた人が多くなつて來た、福徳圓滿の顔と權利義務の顔との相違を時代が生ぜしめた、別段昔を歐歌するわけでは無いが現代の思想界を救い度い樣な氣もする、
人間はパンや飯丈では生活が出來無い時には茶も茶菓子も必要である如く、今日の時代は高尚の娯樂を要求せることは事實である、茲に敢て不肖を顧みずこの書を公にした理由である、

現代に対する批判に、大正デモクラシー的な空気を感じる。
あと、「パンのみに生きるにあらず」というのは十分に豊かな社会なのだなと感じる。

自分は東京生活に所謂悲惨の境遇にあつた事が並一通では無かった、
此の時クヨ/\しても一生は一生と觀じて好きな一日をこの娯樂に暮した、この故か四十と云ふのに未だ頭痛一つ覺えぬ、常に貧しき人に輿へた天の恩恵を感謝して居る、
パン以外に眞生活の意義を盡し度い人に自分はこの娯樂をすゝめ度いのが心中一杯に滿ちて居るのである

悲惨な境遇といっても、趣味に打ち込んでその趣味の本を出せるんだから、いーじゃねーかよという感じ。

でも最後がなんか新興宗教的なアレを感じるな。