樂燒の仕方2 樂焼の定義

樂焼と云ふのは一體どんな焼物であらふかと云ふ事は一番さきに起る疑問でありますが、
之を説明する前に燒物と云ふ事について簡單に述べて見ませう
元來燒物には随分種類が多いのでありますがこれを大別して磁気と陶器との二つと致します、
瀬戸燒だとか九谷燒だとかを壊して見ると内部が石の樣に緻密に出來て居ります、即ち材料が硬い質から成つて居りますものを磁器と申します、
それから粟田だとか相馬だとかの壊れ口を調べると内部が違つて土の樣になつて居ります斯う云ふ原質の軟かい燒物を陶器と云ひます、

瀬戸が磁器に分類されているのが面白い。瀬戸を磁器と看做すのは茶人の先入観では難しい事だ。これが市井の正しい感覚だろう。

また陶器の例が粟田や相馬と云うのも面白い。益子とかじゃないんだ。

陶磁器は極めて大仕掛けの器械を以て燒くに對して在來から手輕に燒ける燒物がありましたがこれを樂燒と云ふのであります、
(中略)
本燒は非常なる設計によつて燒かれるに反し、樂焼は簡單に燒き得られる、普通の陶磁器は實用的であるが樂燒は娯樂的であるといふ相違した點があります、

楽焼は陶磁器でない、と言わんばかり。ぶっちゃけ過ぎだが、正しい評価だと思う。

俺、一個数十分で焼ける樂家の楽焼に、炎の芸術的なものは感じないもん。
一週間とか薪をくべ続けてこその焼物だよね。