樂燒の仕方3 樂焼の楽しみ

夜見世などて面白い燒物などを見出すと愛翫置く能はぬ樣な事がまゝあります、
況して自分が製作した品物にはとりわけ愛好する心が湧いて來るものであります、
自分が嘗て燒方を教へた人が或時茶器一組を作りました、
初歩の作とて穉な氣の失せぬ甚凡俗なるものでありましたのに其人は得意面に滿ちて居りました、
これを桐の麗々しき箱中に蔵めて床を飾つて愛好類ふべき物が無い、自分が一服の茶を所望した所が勿體なく思ふ餘り使い兼ねて、早速薩摩の茶器で用を便じて自分の作は使用し得られ無かつた事がある、
考へると甚滑稽ではるが、こゝに價値が存するのであります、
苦心した結果漸く仕上つた喜びは酒地肉林の愉快とは其趣を異にして居ります、

素朴で楽しい話。

しかし現代の茶人の感覚でいうと、「自分なんぞが作った道具よりちゃんとした道具でお出しすべき」なわけで、大正の頃の感覚は少し違っていたのかも知れない。

まぁこの生徒の場合は当時でも特殊例だとは思うんだけど。