茶道爐邊夜話2 茶道觴濫に就いての一異論

今日の茶道は義政公の茶を重大視し、色々と理屈づけ、君台觀左右帳に記されて居る書院飾や台子飾の記事は、立派な解釋がつけられ随分難解な、局外者には何が何だか見當のつかぬものも中にはあり、これが茶に關係ある書物や雑誌などに發表されて居るが、これを利休が完成した今日の茶道から見る時、餘りに勿體づけるのは色んな矛盾を來すのではなからうか。

たしかに義政をスタート点とした茶道史にはかなりの無理があるし、君台観左右帳の飾り方を台子に絡めるのも無理筋。
この辺の話は、茶道全集の特殊研究編とかを読んでの感想と思われる。

足利義政は盛んに海外の文物を輸入し、
(略)
自然それを實用に使つて試ることになつた。
幸ひその利用の一つ茶を點てることがあつた。
それを義政公が、應仁の亂を他所に東山に隠退し、遊びに餘世を送る時に活用したので、今日の茶道からすれば、其の源流をなすとも取れないこともないが、遊戯、娯樂の一種で、茶道などと云つた嚴格なものではなく、良い加減のものであつたと想像されるものである。
従つて茶の湯の立場からすれば當然其の一部に加へられるべきではあるが、茶道から云へば、方法即ち手前の上には、根元をなすかもしれないが、精神の點では其の範疇に加へるには一種の疑問なきを得ないのではあるまいか。

著者の主張をまとめるとこんな感じか:

  1. 義政がそんな精神性の高い茶をやってた筈がない。
  2. 利休の茶の湯と連続性はないのではないか?

私は、この著者の言うことはある程度正しいとは思うが、ツッコミが弱くも思える。

  1. 利休の茶の湯にどれだけの精神性があったかはよくわからない。
  2. 利休の茶の湯と今日の茶の湯の連続性もわかったものではない。

ぶっちゃけ茶の湯の精神性に関しては年々評価が下がって行き、相対的に過去の茶の湯の精神性は評価が高くなっているのではないかと思う。

そしてそれは、儒教的な「我々は駄目な奴らだが、先人は偉かった。先人の先人はもっと偉かった筈」という無根拠な思い込みによるものではないだろうか。