茶道爐邊夜話4 利休の茶に歸れ

当時の市井の茶人が見た:

近來知識階級の茶人の間に、茶は利休に歸れといふ言葉が盛んに用ひられるやうになつたのは、一寸面白い現象であると思ふ。
この歸れといふ利休の茶とは如何なるものであるかを考へるには、如何にしても利休の生立ちの概略を知る要がある。

「利休へ帰れ」。

従つて利休の茶は坊ちやんの茶といふのも一つの見方であると思はれる。
勿論修業もし精進もしたに違ないが、其の心の奥底を流れるよき意味の我儘な所は終生變らなかつたと思へる記録は至る所に見られるのである。
(中略)
利休の茶は廣範囲に渉り、催す人々の身分境遇に相應しいものを自由に選擇せしめるやうに指導して居たのである。
この自由な茶に歸れといふのが、利休に歸れといふ人々の唱導する意味であると思はれる。

利休の茶は金持ちのお茶であり、大名への指導の茶でもある。
だから利休の茶の範囲は広く、それぞれの人の境遇にあわせたものである。
(当時の)現在、利休の茶に帰れというのは、窮屈なお茶から境遇にあわせた個性の茶に戻れ、という事だ。

突っ込みたいけど先に進める。

所がそれ等の人々を見ると、其の言は表看板であつて實際は三千家即ち、既成茶道師範に對する反感の現れであると思える節が相當多いやうに思える。
勿論千家の現況を見ると、利休の茶の一部である侘茶を唱導しては居るものゝ、相當華美であるのは辨明の餘地のない所ではあるが、時勢に従ひ、それに相應した茶の湯を行ふのが正道であるから考へると、侘のみの字に囚はれ、それを唯一の武器とし、攻撃材料とするのは餘りに狭量に過ぎはしないだらうか。

しかし「利休に帰れ」運動は、反三千家運動に使われていると著者は言う。
三千家の華美な茶から、侘び茶に戻ろうよという運動だと。
だが利休に帰ることを武器にして三千家を批判するのは如何なものか、と著者は考える。

私をして云はしめるならば、既成茶道は行儀作法修得の方法、或は茶の湯を催すに最も都合よき洗練された順序を知り、知識を得る方法と取扱ひ、それ以上は各自の身分境遇に相應しい茶事を行ふのが本當の意味の茶は利休に歸れではあるまいかと考へられる。

著者のいう「身分境遇に合わせたお茶」というのに、私は原則反対しない。

ただ

  1. 利休の茶は自由なお茶だった。
  2. 「利休に帰れ」は自由なお茶への回帰運動である。
  3. 当時の三千家は侘び茶でなくなっていた。
  4. 利休の自由なお茶に帰ればいいと思う。

という論旨は弱い。というか前提事項に結論を滲ませ過ぎて、主張がぼやけてはいまいか?

  1. 利休は侘び人と思われていた。
  2. 当時の三千家は侘び茶でなくなっていた。
  3. 「利休に帰れ」は侘び茶への回帰運動である。
  4. しかし利休の茶は自由なお茶だった。
  5. 利休の自由なお茶に帰ればいいと思う。

なら納得行くのだが。
実際この時代利休を極貧の侘び茶人と思って書いた茶書いっぱいあるんだし。


まぁそれはともかく、当時市井に「利休に帰れは三千家への反感である」と看破した人がいたことは面白い。茶匠よりも金持ち茶人の方が偉いという時代。侘び茶道具を揃えるにも相当の財力が必要だった時代。
茶匠に尊敬が集まるのが金持ち茶人には不快だったんだろうな。

逆に、金持ちが茶坊主扱いしてくる事に、当時の茶匠は不満だったろうが、それを明文化したものはみないなー。スポンサー批判って危険だもんな。