茶道爐邊夜話5 江戸と上方の茶

江戸の茶人は京の茶は成つて居ないと評し、上方の茶人は江戸の茶は無茶だと云つて、お互に批難攻撃するのを常に耳にし嫌な思ひをして居るが、それ等の輩は自分等が唱える和敬の一部でも解して居るのかと疑ひ度くなる程非常識極まる言語を弄して居るのは、茶の湯に關心を持つ人々のよく知る通りである。

昭和初期には、関東と関西の茶人は対立していた、という。

上方の連中は東京の茶を稱して道具茶だといひ、東京の人は上方の茶は手前茶だと批難する。

関東の茶は道具茶。関西の茶は手前茶。
まずは関東の道具茶について。

道具茶といふのは、結構な道具を自慢すると批難する言葉であると想像するが、事實茶道具の優良なものは關東に多く所有されて居るのである。
(中略)
其の使用者は決して道具自慢のみに終始する程卑しい考は毛頭ないのである。
(中略)
中には得々として道具を自慢する者もあるが、それとても自慢せんが為めの自慢ではなく、稚気愛すべきもののあるのは恰も古武士の戦場の自慢話、手柄話の如く、至つて屈託ないものに似たものである。

しかし「道具自慢してたって可愛いものじゃないか」というのはちょっと関東びいきが過ぎるような気がするぜ?

一方上方の茶を手前茶と攻撃するのは、手前を非常に嚴格に云ふ上方の茶の湯を評する言葉で、成程東京に比べると手前は正確を期する風あるのは争えない事實である。
これは三千家を始め藪内等の家元があり、古來から傳えられた形式があるのでこれを粗略にすると、終には収拾し得ない勝手な手前になるのを防ぐ為めと、今一つには作法の一種としての茶の湯は非常に洗練された、最早改良の餘地のない程度の完璧に近いものであるので、これを習得し作法の根本基礎を造ると云つた所に目的や根據もあるので、それを目して手前茶云々と攻撃するのは、家來より茶儀を學んだ氣儘一杯の大名茶の遺風を傳へた江戸の茶人の偏した見方では在るまいか。

関西の茶は手前に厳格であることが非難のポイント。


この頃の茶の湯事情を考えてみる。


関東では、例えば鈍翁が金持ちなのに侘びを目指してお茶をしていた。
しかしお点前は勝手流で、あぐらの点前で前ポロンを避けるために前掛けをしていた。

関西では、道具はあんまり大した事なくて、家元宗匠主導のお茶をやっていた。


あれ?よく考えたら、関西のお茶って別に非難される謂われなくね?
関東のお茶も、褒めようはなくもない。自由なお茶だね、とかいって。


「道具茶」「手前茶」って悪口になってない気もする。
「手前無茶苦茶茶」「道具ろくにない茶」の方が悪口として適切じゃないか。
ということは、この悪口になっていない悪口は、多分にコンプレックスの裏返しという感じがするね。