茶道爐邊夜話10 茶の大衆化

近年茶道大衆化が叫ばれて居るにも拘らず、實際上それが行はれて居ないのは、何に起因するかを考へると、それには二つの理由があると思はれる。
第一は現行の點茶法に匹敵する價値のある簡單な點茶法がないことで、

茶道の大衆化を阻害する要因の一つは、簡単な茶の湯作法が無いこと。

これは早晩茶道の偉人に依つて考案されるのは明らかなことであるが、若しそれが一般に行はれるやうな事ありとすれば、手前を教授することに依つて生計を建てゝ居る多くの人々にとつては、失業といふ絶大の脅威で、生活問題を生じるのである。
従つて數回の練習で誰にも覺へられるやうな簡單な手前が茶道の家元に於て考案されたとしても、これを公開することは、茶の湯教授の生活の保證をしてから後にするのが順序である。
(中略)
従つて點茶法の大衆向のものは、當分發表されないと見るのが正しい。

それは、創始の段階から茶湯者という職業を持っていた、茶の湯という産業の構造的な問題でもある。
歯医者は虫歯を根絶しないのである。

第二は道具の問題であるが、假に現行の點茶法の中での簡單なものを採用するにしても、道具が必要である。
(中略)
その道具は何を標準として選べば良いかといふと、侘の精神に叶つた、見處ある下手物に行くより外に方法がない。
(中略)
其の最適任者は、何と云つても茶道の宗家、即ち家元である。
然し乍ら家元としては、茶器の箱書料は非常に大きな財源であつて、その多少は經濟に響くのであるから、見所に依つて箱書するする*1優秀なものゝ少い下手物を常用することは、箱書を必要とする十職並に出入方の道具に影響するので、下手物には成可く觸れないやうにする。従つて、大衆茶人の道具の選定には非常な不都合を來すのである。

そして道具も、大衆には買えないし見立てられないという問題がある。



戦後逸翁も茶道を大衆化するにはどうするか?なんて考えていた。
未だそれは達成されていない。つまり完成することの無い永遠のテーマということなのかもしれない。


…家元でない人達がボトムアップで点前作法を考え、さほど素晴らしくない道具で楽しむお茶。そういう物を大衆と呼ばれる層も望んでいなかったのではないか。

大衆も背伸びしておハイソごっこがしたいだけなんだよね〜。

*1:ママ