茶道爐邊夜話13 後段付の茶事

關西地方によく行はれる、後段付の茶事に就いて、關東の茶人は盛んに批難するが、嚴正な意味に於ける茶事として見る場合には、後段付の茶事は不都合であるかもしれない。

鈍翁や箒庵等の関東の茶人の嫌った後段付きの茶事。
関西の茶事の特徴だったというそれを著者は擁護する。
という事は戦前はまだこういう後段付きが多かったという事なのだろう。

然し乍ら、後段付それも藝者が入つたり、酒宴になつたりするのを、茶事として取り扱ふから其所に問題が生じる
ので、これは當然、酒宴の序曲として茶の湯を選び、静寂の境地に主客共に入り、局面を一回轉させ酒宴に移り爛慢の気分を生む方便としたもので、後半は茶の湯の形式を採用した酒宴である。

つまり、後段がついた奴は茶事風宴会であって正規の茶事ではないんだ、と。

…あれ?それだと関西の正規の茶事の数は激減しちゃわないか?

現在茶の湯に親しんで居る人は一部の世捨人を除き、和敬静寂の境地に入り精神修養するが如き殊勝な心掛は持つて居ないのであると思はれる。
資産が出來ると、先づ女遊をする。それも飽きて來ると安住の地を求める意味で住宅を建築する。
家が出來ると一通の道具が要る。
それも蓄財の方法としての茶道具に投資するのは、樂しむと共に最も安全であるから、勢それを採用する。
道具が一通揃ふと茶事を催し度ひのが人情である。

えーっと。
あまりにずばり言い過ぎな気もするが、心得の問題だろうか?
まあ先に進める。

そんな連中が茶事を催するのであるから、老人や特殊な一を除けば日常生活と茶事は餘りに距離があり過ぎる。
従つて茶事だけで滿足出來る理がないので、當然後段に遊興に入るのである。

なんか一瞬納得しかけたが、良く考えるとこれでは関西に後段付きの茶事を行う人が多い、という説明になっていない。


関東では鈍翁たちが様々にメディアを通じ主導し、侘び茶を広めた。

関西でそれが広まらなかったのは、多分お金が(関東程は)無かったからじゃないか?
侘び茶は広間の茶よりお金が掛かるからである。
侘び道具が無ければ広間の茶になり、気分として後段を付けたくもなる。

…あ、でもこれだと藤田さんちとかが説明つかないか。

んじゃ、そもそも古くから関西では、こういう後段付きの茶の湯がずっと流行っていた…というのはどうだろうか?

このへんは茶会記から検証しないといけないけどな。